よほどの天才か、もしくは修練を積んだ努力家でない限り、1を聞いて10を知ることは不可能である。
ましてや、新入社員で最初からこんな社員がいたら、教育など不要だ。
上司が部下に出す指示・命令に対して、部下がその指示を何とかやり遂げようとするとき、上司の意向を少しでもくみ取ろうとすることは、とても前向きで、素晴らしい心構えだと思う。
その日々の努力によって、彼らは成長し、1を聞いて1.1とか1.2ができるようになる。
たとえそれが、指示した上司にとって、ほとんどわからないような小さな「0.1」であっても、気付く人は必ずいる。
逆に、1を聞いて、0.9しかできなかったときに、指示した上司は何というだろうか?
たぶん、目ざとく、足りない「-0.1」を指摘し、鬼の首を取ったかのようなお叱りを受けるのが、よくあるパターンだ。
ここまではまだ許そう。
なんせ、人間の成長過程にはよくある出来事だし、新入社員の頃はそうやって叱られて育つものだ。
だが、どうしても許せないことがある。
1を聞いて2や3を目指そうとしている部下に対して、その方向性が違う(指示した結果のイメージが違う)ことを理由に「全否定」し、挙句の果てには「余計なことはするな!自分が指示したことだけすればいいんだ!
」と叱りつける上司が存在することだ。
これは、明らかに、部下が自ら一生懸命育とうとする大切な「芽」を摘むことに等しい。
なぜなら、一度そんな風に上司から叱られた部下は、もう2度と1を聞いて10を知ろうとはしないからだ。
「言われたこと以上のことは絶対にするまい。せっかく気を利かせたつもりでも叱られたら損だから。」と考えるだろう。
かくして、ひとりの有望な社員の人生は、全くつまらないものへとなるかもしれないし、その上司のひと言のせいで、会社の損失は計り知れない。
たぶん、私がやらなければならないことは、こういった上司をつくらない社風をつくること。
よく言われていることだが、上司は部下を選べるが、部下は上司を選べない。
まさに、部下の運命を握っているのは、日々対面している上司なのである。
自分自身を含め、このことをしっかりと心に留めた言動をしなければいけないと思う今日この頃である。
当社の経営計画書にも載せているが、ふと中村文昭さんの言葉を思い浮かんだ。
「頼まれごとは試されごと」
頼んだ人の予測を上回るレベルを目指すことが、成長の第1歩だ!
たとえそれが見当違いなことであっても、彼が頼まれてもいないことにチャレンジすることの意味を考えよう。
頼まれた人に喜んでもらおう、有難がってもらおうという一心で、彼は
頼まれもしないことに時間をかけて、あなたのためだけに行動するのだから・・・