窯変

「窯変(ようへん)」という言葉をご存じだろうか?
私は最近になってその言葉を知った。意味は「陶磁器を焼く際、炎の具合や釉薬(うわぐすり)中の物質の関係で、予期しない(面白い)色や文様に変わること」とある。

そういえば窯元を見学に行ったときに、そういったことを聞いたことがある。英語では、accidenntal coloringと言われたりしている。「偶然に生じた色彩」ということか。

しかし、その「偶然」はただの偶然ではない。職人が長い年月をかけた修行と日々の鍛錬の積み重ねの上で、偶然を「呼び込む」のだ。「窯変」は、蓄積された経験と努力のもとにやってくる。

 

確かに陶器がどのように焼きあがるかは、窯から出してみなければわからない。人間の力では制御できない火の力によって化学反応が起き、思いがけない美が誕生する。そこには「他力」としか言いようのない「力」が働いている。しかし、その美が生まれるためには、窯に入れるまでに様々な技巧が施されているはずだ。

 

以前にも「他力本願」について書いたが、すべてを神にゆだねてゴロゴロしていれば願いが叶うということは決してない。大切なのは、自力の限りを尽くすこと。私たちは、自力で頑張れるだけ頑張ってみると、必ず自己の限界にぶつかる。そして、自己の絶対的な無力に出会う。重要なのはその瞬間だ。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在することを深く認識した時、「他力」が働く。そして、それが「偶然」へと導かれるのだ。

 

偶然そのものをコントロールすることは決してできない。大事なことは、私たちが「偶然を呼び込める器になること」

そのことが、仕事のうえでも重要なキーポイントのなるのではないかと考える。

中島岳志著「思いがけず利他」より引用