たぶん「広辞苑」には載っていないであろう言葉だが、この言葉に触れた時、人間に必要な力のうちの、大事なひとつだと感じた。
使い方としては、感性を磨くことで「感性力」が高まる、というようなことだろう。
基本的には、幼少期の環境が一番大事だと思う。大人になって感性を磨こうと努力してみても、なかなか思うようにいかないのが現実かもしれない。
ある小学校の先生が子供たちに「雪が溶けたら何になる?」と問うた。
すると、ほとんどの子供たちは、「水になる」と答えた。
しかし、たったひとりだけ「春になる」と答えた子がいた。
雪が溶けたら水になるというのは、理論的に何ら間違っていない。
しかし、それは具体的な現象であって、そこには自分の感情は全くない。
逆に、その子は雪が溶けたら「春が来る」ということを、敏感に感じとったからこそ、自分自身の感情が「春になる」という言葉になって表現されたと思う。
この子の感性に100点をあげたい!
私達日本人は、理論や知識だけで教育を受けてきたので、このような考え方が苦手になっているのかもしれない。
欧米では、算数の授業にさえ感性豊かな教え方をしていると聞く。
日本の算数の計算問題は、
2+3=☐
というような問いが一般的なので、☐の中は<5>しかない。
欧米では、
△+〇=8
というように、答えはひとつでも、方法はひとつではないという教え方だ。
小学校のうちから、幅の広い考え方を教わると、たとえ道をはずしても、他の道をすぐに見つけて方向修正ができる。
そんなことが、ひいては感性あるいは感受性を磨く助けになっていくのではないだろうか?
最近の事件に接するにつけ、感性、特に良質の感性を持ち合せることの大事さを痛感させられるのである。
かくいう私自身も、もう遅いとは思いつつ、少しでも感性を磨いて、社員と会社がより幸せになるような判断を下していきたいと考えている今日この頃である。