人の寿命

6/30に友人が亡くなった。

同い年で割と親しい間柄だっただけにショックが大きい。

お互い異業種交流団体の委員長を務めていて、その理事会では元気に挨拶を交わしていた。

体調を崩しているとのことで、今年の4/21に国分の医療センターにお見舞いに行った。

大手術を終えた後にもかかわらず、本人はポジティブな言葉を発し続けていた。

今考えれば、あのとき既に自分の寿命を察知していたのかもしれない。

残りの人生を精一杯前向きに生きるために、必至で考え、そして行動した。

社員の結婚式にも病院を抜け出して出席し、祝った。

幼いわが子の誕生日を心からの笑顔で祝福した。

死を前にして、私にこんなことができるだろうか?

元気なころの彼の志の高さを思うと、それが決して生半可なものでなく、元気をふりまき、まわりを巻き込んでいった、彼自身の生きざまをひしひしと感じることができる。

もっと、生きたかったろう。

悔しかったろう。

こんなことなら、元気なころにもっと深く語り合いたかった。

残念で仕方ないが、今はもう、ただただ彼のご冥福をお祈りするしかない。

丸山雅成君、安らかにお眠りください。