Archive for the ‘社長ブログ’ Category

1を聞いて10を知る

2018-08-18

よほどの天才か、もしくは修練を積んだ努力家でない限り、1を聞いて10を知ることは不可能である。

ましてや、新入社員で最初からこんな社員がいたら、教育など不要だ。

上司が部下に出す指示・命令に対して、部下がその指示を何とかやり遂げようとするとき、上司の意向を少しでもくみ取ろうとすることは、とても前向きで、素晴らしい心構えだと思う。

その日々の努力によって、彼らは成長し、1を聞いて1.1とか1.2ができるようになる。
たとえそれが、指示した上司にとって、ほとんどわからないような小さな「0.1」であっても、気付く人は必ずいる。

逆に、1を聞いて、0.9しかできなかったときに、指示した上司は何というだろうか?
たぶん、目ざとく、足りない「-0.1」を指摘し、鬼の首を取ったかのようなお叱りを受けるのが、よくあるパターンだ。

ここまではまだ許そう。

なんせ、人間の成長過程にはよくある出来事だし、新入社員の頃はそうやって叱られて育つものだ。

だが、どうしても許せないことがある。

1を聞いて2や3を目指そうとしている部下に対して、その方向性が違う(指示した結果のイメージが違う)ことを理由に「全否定」し、挙句の果てには「余計なことはするな!自分が指示したことだけすればいいんだ!
」と叱りつける上司が存在することだ。

これは、明らかに、部下が自ら一生懸命育とうとする大切な「芽」を摘むことに等しい。

なぜなら、一度そんな風に上司から叱られた部下は、もう2度と1を聞いて10を知ろうとはしないからだ。
「言われたこと以上のことは絶対にするまい。せっかく気を利かせたつもりでも叱られたら損だから。」と考えるだろう。

かくして、ひとりの有望な社員の人生は、全くつまらないものへとなるかもしれないし、その上司のひと言のせいで、会社の損失は計り知れない。

たぶん、私がやらなければならないことは、こういった上司をつくらない社風をつくること。

よく言われていることだが、上司は部下を選べるが、部下は上司を選べない。
まさに、部下の運命を握っているのは、日々対面している上司なのである。

自分自身を含め、このことをしっかりと心に留めた言動をしなければいけないと思う今日この頃である。

当社の経営計画書にも載せているが、ふと中村文昭さんの言葉を思い浮かんだ。

「頼まれごとは試されごと」

頼んだ人の予測を上回るレベルを目指すことが、成長の第1歩だ!
たとえそれが見当違いなことであっても、彼が頼まれてもいないことにチャレンジすることの意味を考えよう。

頼まれた人に喜んでもらおう、有難がってもらおうという一心で、彼は
頼まれもしないことに時間をかけて、あなたのためだけに行動するのだから・・・


浅井の一本桜

2018-04-01

今年は、桜の開花が前倒しになっているということで、先日、比較的近場に位置する「浅井の一本桜」の夜桜見物に出掛けた。

実は、近場という事もあり、今まで一度も訪れたことがなかった。

予想以上の見事な老木。

前日は、3分咲きくらいだったらしいが、訪れた当日は、ほぼ満開に近い勢い(実際は七、八分咲き)で、咲き誇っていた。(ちょうどライトアップ開始当日だった)

老木の素晴らしさもさることながら、小生が感心したのは、地域住民の方たちの、この老木に対する深い愛情だ。

現地に向かうには、複雑な山道を通っていかなければならず、草野線からの入口はもちろん、駐車場へ行きつくまでの要所要所に地元のボランティアの方たちが親切に道案内をしてくれる。

道が狭い為に、行き帰りの道を変えて、一方通行で工夫しているので、割とスムーズに駐車場までたどりつく。

駐車場に入ってからも、整理の方が何人もいて、キビキビと誘導していた。見ていてとても気持ちがいい。よく見ると、20代の若い人たちから80代のお年寄りの方まで、心をひとつにして一緒になって動いているのだ。

この1本の老木のために。

日本人の心意気と言えば大げさかもしれないが、この一本の老木を守っていこうとする彼らの「支える美学」を感じた。

そして、この老木と対面した時に「なるほど」と思った。

村の住民たちの愛情を一身に受けて、誇らしげに咲き誇る山桜。

近づいてみると、何本もの支柱に支えられて、樹齢100有余年の年月を生き抜いてきた雄姿が、圧倒的な迫力で語りかけてくる。

たまたまこの日は、ライトアップに加えて、満月のあかりにも映え、幻想的な雰囲気をかもし出していた。

世界中には多くのパワースポットがあるのだろうが、こんなに身近に、こんなにも素晴らしいパワースポットがあろうとは、恥ずかしながら今頃気が付いた次第である。

来年も必ず見に行こう。


LEGOの教訓

2017-11-08

 11/6の読売新聞のコラムで、デンマークのレゴ社(玩具会社)のエピソードが載っていた。

個人の木工所の時代からだと約1世紀前から続いている老舗企業である。

この会社が2000年代に経営危機に陥った。

その原因は、特許切れやテレビゲームの登場、あるいは当時の経営者による「脱ブロック」方針による多角経営の失敗等、多数挙げられている。

その中で、設立当時の「創業の精神」が忘れられていたことも原因のひとつらしい。

 

ここに興味深いエピソードがある。

木製おもちゃのアヒルのニス塗りを通常3回から2回に減らし、コスト削減したと自慢する息子に、創業者の父親が怒った。

既に出荷された商品を鉄道の駅まで取りに行き、やり直させたという。

父親としては「何(誰)のためにおもちゃを作っているのか?」という「創業の精神」を息子に教えたかったのではないだろうか。

 

不振にあえぐ経営陣は「子どもたちに最高のものを」という創業当時のレゴ社の理念こそが目指すべき方向を示していると気づいた。

その後、レゴ社はあっという間にV字回復を遂げ、世界最大の玩具メーカーに返り咲いた。

 

この記事を読んで、ものづくりの世界において「顧客に喜んでもらう製品をつくる」というごく当たり前のことなんだけど、大会社でさえ忘れてしまうことがあるという恐ろしい経営の落とし穴が潜んでいると思った。

最近では、神戸製鋼の品質偽装問題、日産やスバルの無資格検査問題等、品質に直接かかわる事件が頻繁に起こっている。

先日はカップ麺用の乾燥チャーシューを、自社の設備改修の間、製造許可のない施設で加工していた会社に警察の手が入った。

 

これらは、皆、確信犯だ。

 

顧客の事などこれっぽっちも考えず、我が事を優先するわがまま経営といっても過言ではないと思うがどうだろうか。

人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、もしかすると当社にもそういった「悪魔のささやき」があるかもしれない。

急がば回れ、楽そうな道や儲かりそうな道には、たいがい落とし穴がある。

 

★We are committed to quality customer satisfaction.
(当社は、お客様に最高の品質をお届けする事に熱心に取り組んでいます。)

 


スカッとジャパンと正義

2017-10-14

フジテレビ系の「スカッとジャパン」がおもしろい。

笹野高史演じる「スカッとばあちゃん」や木下ほうかの「イヤミ課長」、「ケチケチ母ちゃんシリーズ」など、楽しいキャラクターが豊富に出てきて、トンチの効いた切り返しで「スカッと」させてくれる番組だ。

その中でも私が特に気に入っているのは「スカッとばあちゃん」。
日頃、私たちが言いたくても言えないことを、堂々とウイットを効かせた正論で畳みかける様は何とも言えず爽快である。

私たちは、心のどこかで、自分勝手でムカつく人たちを成敗してくれる「正義の味方」を求めているような気がする。
だからこそ、このような番組が人気を博しているのだ。

よく言われることだが、最近は近所の大人が、よその子供たちが悪いことや危ないことをした時に、注意をしたり、場合によっては手を出したりすることがなくなった。
今は、よその子供を叩こうもんなら、それがどんなに正当な理由であっても、親から訴えられたりする時代だ。
ほとんどの人たちは、知らないふりか無関心を決め込んでいるのが現状であろう。
ちょっと正義感の強い人なら、逆にストレスを感じる時代なのかもしれない。
親や教師あるいは近所のおばちゃんやおじちゃんたちから、まともな教育や指導を受けずに大人になった人たちは本当に不幸だと思う。

 先日、久しぶりに故鳩山邦夫氏をTVで拝見した。
30年前に起こった東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯である宮崎勤の死刑執行人としてだ。この執行は、通常死刑確定から8年と言われている執行実施を、2年4ヶ月という大幅に早めたスピード執行となった。
私は生前ご本人と会話させていただいたことがあるが、このことは彼の並々ならぬ「正義」に対する気持ちを象徴する出来事だったと思う。
ひとことでいうと「悪は断固成敗する!」的な思想を一貫してお持ちだった。

こういった気骨のある人たちが、堂々と正論が言える世の中を「スカッとジャパン」が示唆していると考えるのは大げさだろうか。


ミスドの鉛筆混入問題

2017-08-30

昨日、ミスタードーナツの名古屋市内の店舗で、異物混入が発覚した。

ネットの記事を見ると、何らかの理由で鉛筆がミキサーにかけられバラバラになった状態でドーナツの生地に混入した可能性が高いと報じている。

「ポン・デ・リング」を購入した客2人から「ピンク色の木片が入っていた」などと連絡があったらしい。

これを受けて、そこの経営会社は販売済みのドーナツ217個を自主回収することを決めたという。
しかし、現実問題としてこの217個のドーナツって果たして回収できるものなのか?普通、私たちが購入するドーナツは、そのほとんどがその日のうちにはそれぞれのおなかの中に納まっているのではないか?

どれだけの回収ができたのか、結果も教えていただきたいものだ。

もっとも、私が問題視しているのはこの部分ではない。

今回、ショップを経営する会社の社名も公表されているが、では「ミスタードーナツ」というブランドを掲げて経営しているにもかかわらず、ミスドを運営しているダスキンの責任は全くないのか?ということが気にかかる。

実際、ミスドやダスキンのホームページには、今回の異物混入に対するコメントは一つもない。FC制での経営はそれぞれの会社に任せているということで、素知らぬ顔を決め込んでいるのだろうか?

時間がたてば何らかのコメントがあるのかもしれないが、現時点では「知らぬふり」。せめてショップの苦境に手を差し伸べるくらいはやってほしいものだ。

最近のダスキンの経営方針をみると、今年2月に、2020年度までに『ミスタードーナツ』の約4割に相当する500店でドーナツの店内調理をやめると発表していた。
ただ、ほんの2年前には、売りである「できたて」をアピールするために、調理の様子が見えるように店舗の改装を進めていた。

この短期間での方針の転換をみても、ダスキンの苦悩がうかがえる。
かたやコンビニがドーナツ販売に乗り出しており、ミスドの存在価値は、やはり「手づくり・できたて」にあるのではないかと、個人的には思うのである。

そんな中での今回の事件である。

今回の異物混入を機に「店内調理をやめる」ということではなく、あえて「店内調理をやるために徹底的に環境やシステムを見直して、顧客の信頼回復を目指していく」という決断をされることを心より願っている。

当社では、「経営計画書」という小冊子を毎年作成しているが、その中に「雨降らずして、地固まらず」というフレーズがある。「雨降って地固まる」という言葉とは少しニュアンスを違えている。雨が降ってこそ固まる地もある。

ダスキンさんには、是非この一店舗の苦境を自分自身の事として真剣にとらえ、今後の業績回復、そして躍進につなげて頂きたい。


今回の九州豪雨について(経過及び御礼)

2017-07-09

思い返せば「あの時の雲が」というような思い当たることがある。

 

2017年7月5日(水)13:00前後、私は久留米市内での用件を済ませ、田主丸町の本社に向かっていた。その時に「おや?」と思ったのは、北の空が真っ黒になっており、あのへんは大雨になっているなという事は、容易に想像できた。その時は、あの雲がこっち方面に来ると、かなりまとまった雨が降るのかなと思ったくらいであった。

 

しかし、まさかここまでの大きな災害になろうとは、夢にも思わなかった。

 

朝倉市、東峰村、日田市を中心とする一帯を襲った豪雨は、専門家によると、同じ場所に積乱雲が次々に発生する「バックビルディング」と呼ばれる現象によって、大雨をもたらす「線状降水帯」が長時間維持されて起きたと発表された。

 

7月9日現在で、18名もの尊い命が奪われており、行方不明の方、場所によってはまだ孤立している地域もある。また、避難所での生活を余儀なくされている方も、未だに今回の災難を、信じがたい思いでおられることだろう。

お亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈りするとともに、被災された多くの方々に対してお見舞い申し上げます。

そして、これ以上、犠牲者が増えないことを願わずにはいられません。

 

当社の位置する田主丸町は、幸いにも大きな被害はなかったが、被災した朝倉市は隣町であり、甚大な被害が報道された比良松中学校のすぐそばの朝倉ICまでは、車で10分足らずという近い場所にある。
社員の中には、朝倉地区、杷木地区から通勤してくる者もいたため、少なからず被災した者がいる。彼らに対しては、現在、出来得る限りのバックアップをさせて頂いているところだ。

 

御礼が遅くなりましたが、今回の記録的豪雨に関して、電話やメールなどでご心配頂いた、たくさんのお取引先の皆様に、心より御礼申し上げます。今後、土砂崩れなどの2次災害も予想されておりますし、梅雨前線もまだまだ活発に動いているようですので、気をしっかり持って、対処して参りますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。


顧客との関係性

2017-05-15

先日、大変嬉しい事があった。

それは当社の、ある営業マンのことだ。

彼は、12年間に渡ってある地区の担当をしていたが、この4月より担当交代となった。

今回、その引継の際に、主力のひとつであるお得意先から送別会をさせてほしいとの申し出があり、そのご厚意に甘えさせていただいた。

通常、得意先の担当者の移動で、お世話になったお礼ということで、私たちが送別会を開催させていただくことはよくあるが、得意先からの申し出で、1営業マンの送別会を開いていただくことはなかなかない。

そういう意味で、今回の件は異例の事であり、裏を返せば、彼がこの地区を12年間担当した中で、いかに得意先とのいい関係を築いてきたのかという事が推測される。

営業マン冥利に尽きるとはこのことではないだろうか。

本人としても、今回の貴重な体験が、今後の営業活動の大きなモチベーションに繋がったことと思う。

当社の経営計画書に照らし合わせてみると、「コマツ式」顧客との関係性7段階レベル(小松製作所の坂根元社長が提唱)の中の②のレベルに近いのではないか。

先方が、彼を通して、当社をいかに大事に思っていただいているのかを痛感し、と同時に、その期待に今後も応えていかなければならないという責任をあらためて感じたところだ。

もちろん、今回のことは彼ひとりの力ではない。

工場や業務部、あるいは委託先のバックアップや、歴代の営業担当がコツコツと、いい関係を築き続けてきたことで、相手先から感謝され、頼りにされてきたことは間違いないだろう。そのことを忘れることなく、今後も謙虚な気持ちで、新たな担当先でも、得意先との素晴らしいパートナー関係を築いてもらいたいと思う。


泥打ち祭り

2017-03-29

先日、福岡県朝倉市の阿蘇神社で「泥打ち祭り」なるものが開催されたというニュースを、新聞で知った。

白い衣装に投げつけられた泥の付き具合で農作物の豊凶を占うらしい。

300年以上続くとされる伝統行事で、白装束の「代宮司」に、地元の子供たちが水田から集めた泥を、寄ってたかって投げつけるというもの。

この日は小雨だったこともあり、白装束の白い部分が全くなくなるほどたくさんの泥がつき、豊作間違いなしとのこと(#^^#)

こういった「五穀豊穣」を祈願するお祭りは、全国に無数にある。

おしろいの顔の付き具合で来年の「作柄」を占う「おしろい祭り」も朝倉だったか。

久留米大善寺町の「鬼夜」も、青森県で米を根性食いする祭りも、秋田県の「なまはげ」も、皆、五穀豊穣祈願である。

私たち日本人は、農耕民族であるがゆえに、畑を耕し野菜を育て、稲を植え米を栽培して、その収穫で食を確保してきた。

だからこそ、こういったお祭りは長く続いているわけで、決して風化することなく、実態を伴った風習として、農業に従事する方たちの希望と力の元であってほしい。
日本の農業が、国の礎として、衰退することなく存続発展することを願ってやまない。

 


再現性の難しさ

2017-01-30

週に3日くらい行ってるうどん屋がある。

もうかれこれ15年通っているので、「常連」とよばれてもおかしくないだろうと思っている。

しかし、お店の気遣いなのかわからないが、いまだに「毎度!」と言われたことがない。

遠慮せずに「毎度!」と言ってもらいたいのだが、何か考えがあるのかもしれない。たまに、他の常連らしき客をウオッチしてみても、「毎度!」とは言っていないようだ。

店に自信があるのなら、堂々と「毎度!」と言ってほしいものだ。

とまあ、ここまでは筆者の勝手な「つぶやき」である。

言いたいことはここからだ。

先日、例によってそのうどん屋に行ってうどんをすすったときに、うどんに違和感があった。いつものうどんとは明らかに違う。「コシ」、「太さ」、「長さ」、「厚さ」、「舌触り」、どれをとっても今までのそれとは異質のものであった。

決してまずいわけではないのだ。

しかし、私が長年味わってきたうどんとは違った。

もしかしたら、私の舌がおかしくなったのかもしれない。ただ、「長さ」とか「厚さ」とかは味ではなく見た目なので、食べ終わって勘定をしたあとに、大将に確認してみた。

「大将、もしかして打ち方変えた?それとも、粉、変えたのかな?」

すると大将は「すみません!打った者が違ったのかもしれません(汗)」と、恐縮した様子。

いやいや、そんな簡単な問題じゃないでしょう。

コトはこのお店のコンセプトに関わる問題でしょうと。

そんな思いをグッと抑え、「なるほど・・・」とちょっと笑って、店を出た。

 

常連の私だから気づいたことだが、もし「いちげんさん」だったら、ここのうどんはこういう感じなんだ。と判断されるだろう。そして、そのうどんを気に入った客が、次に食べに来た時に全く違ううどんが出されたらどう感じるだろうか?

提供される商品の「ぶれ」があまりにも大きいと、それは「手づくり」とかで許されるべき問題ではなくなる。

「素人」ならまだ許せるにしても、「プロ」なら最低限の特徴は守るべきだろう。

ラーメンには「秘伝のタレ」があるように、受け継いできたものはキチンと守っていくのが本筋と考えるがどうだろうか。

 

当社を鑑みた時に、はたして当社の製品に「ぶれ」はないだろうか。と冷静に振り返ってみると、先述のうどん屋を決して馬鹿にできないことに気づいた。

お客様が期待する価値を、継続して提供し続けているのか?

包装容器という製品のいろいろな特徴をちゃんとお客様に認識していただき、それを完璧に再現できているのか。

その答えは、残念ながら「NO」だ。私たちはお客様の寛容な心に支えられ、たとえしくじっても、次からもっといい製品を提供してくれと、エールを送っていただいている。

失敗したことを糧にその失敗の確率を極限まで減らしていく。

お客様に育てられながら、そんな努力を積み重ねている毎日なのだ。

 

今回のうどん屋さんでの出来事は、当社の品質体制を再確認するいい機会であった。

そういう意味では、感謝しなければならないし、今後も常連としてエールを送りたい。

 

 

 


ホークスの応援で感じたこと

2016-08-29

昨日(8月28日)ホークスの応援に行くためにヤフオク!ドームに足を運んだ。

ロッテ戦3タテをもくろんでの試合だったが、初回から2点のビハインド(~_~;)

途中、江川選手のホームランなどで逆転したものの、8回に救援陣が崩れあえなく再逆転され、そのまま流れを止められずに痛い1敗を喫した。

ホークスの不甲斐なさもさることながら、球場の応援スタイルに物申したい。

ホークスはホーム球場でもあり、9割がたがホークスファンで埋まっているものの、応援にまとまりがなく、なんだか気合が入らない。

もちろん、外野の常設応援団は一生懸命応援しているのだが、その他大勢の観客のほとんどは、行楽気分で観戦に来ているような雰囲気。

それに比べて、対戦相手のロッテの応援は、敵ながら素晴らしかった。

私は1塁側の席で応援していたので、ちょうど真正面にロッテのビジター席があり、そこだけが黒っぽい集団でひしめいていた。

昨日は初回から角中選手のホームランなどで盛り上がったこともあり、ことのほか彼らの応援が際立った。球場の1割しかないその場所で、まるで合唱団のように声を合わせ、全員でジャンプして打者を応援する。気迫のこもった応援とはこういうものかと思わせるような一糸乱れぬ見事な動作。

どこで練習しているのだろう?この人たちは、応援のプロなのか?

高校野球の応援でもあまり見たことがないような、少数精鋭のこの集団に、昨夜は心を奪われてしまい、いつのまにか負けてしまった。

企業に当てはめても同じことが言えるのではないだろうか。

いくら頭数だけ揃っていても、ひとりひとりが「人財」でなければ何人いても同じだ。

私たち中小企業には、最初から優秀な「人財」が入社してくることはまずない。

社内で「人財」を育て、ゆくゆくはロッテの応援団のような精鋭として多くの社員が活躍できるよう、日々努力していこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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